「生きのびるためのデザイン」(ヴィクター・パパネック)(原題 Design for the real world)
を読み終わりました。
1971年に書かれたもので、一部所有者のステータス誇示のためのスタイリングはやめて、問題解決のためのデザインをしなさい!という、最近のDesign for the other 90%などの流れの最初の源流です。
近代化により専門への分化が進みすぎた世界に対して、デザイナーは専門家(specialist)ではなく万能人(generalist)の役割を果たすべきだとしています。
デザインをするには分野を超えた(cross disciplinary)チームでやらないと問題解決はできず、デザイナーはその専門家たちをつなぐような存在になるべきだということです。
ちなみにそのデザインチームに最小限度の条件は以下だそうです。
・社会科学と行動科学
・エコロジー
・人類学
・デザイナー
・心理学
・構造生物学、数学
・建築家
・メディア
・エンジニア
・実際の"クライアント"グループの代表(クライアントというよりはユーザの意味合いが強い)
ちなみにこの本はpdfがフリーでオンラインに置いてあります(ただし英語、本にはある写真なし)。
1960年代の、パパネックが実際につくったプロダクトの写真やいい例・悪い例のプロダクトの写真も載っていてたのしいので、ぜひご覧あれ。
そしていま読んでいるのがこの「プロフェッショナルな修理」(足立紀尚)。
着物と仏壇と桶、ピアノ、スーツケースとかばん、パソコン、いす、自動車、スクーター、絵画
の修理の現場に筆者が実際に行ってそのようすを記録している本です。
いまパソコンの章まで読んだところです。
おもしろかったのは、着物の修理。
これは京都の職人さんたちによる修理なのですが、その修理は生地のバラし、洗い、染み抜き、染め直しなど、それぞれの工程に対してそれぞれの職人がいます。
染め屋でいえば、無地の染め屋と柄物の染め屋がおり、さらに黒染めや手書き、機械染めなどですべて職人さんが分かれるそうです。
職人たちはそれぞれの「お門」に特化して仕事をしているのです。
つまり京都の職人とは上に書いたパパネックの言っているところの「専門家」であり、そういった産業形態を日本(京都?)は江戸時代からとっているというのはおもしろいなと思います。
そういう意味では、江戸時代はすごく近代的な社会だったのかもしれません。
パパネックは「生きのびるためのデザイン」で、絶滅危惧種の多くが高度に分化しすぎたことによる絶滅であったということを例にとって、人間の産業システムに関しても、高度すぎる専門家は危険だとしています。
しかし京都では300~400年ほどこうした産業システムが続いているのです。
(これからどうなるかわかりませんが。)
ただ、悉皆(しっかい)屋という職業があるらしく、その人はエンドユーザーから仕事を請け、必要な工程を考えて、それぞれに合った職人に仕事を頼むという仕事をしています。
この悉皆屋がパパネックのいう万能人の役割を果たしていたから、京都の産業はいままで生きのびてこられたのかもしれません。
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